とりあえず米を食え

狩ったるでぇ!狩るわいのぉ!

ブラブラロスにサヨナラを。


くそ。くそっ









照史君が、ミッキーが、ブラブラの世界から私を帰してくれないじゃないか。


久々にこんなに引きずられている。

日常に戻って普通の生活を送っていても、ふとした時にトリップしてしまうあの世界。



本当はまだ抜け出せていないのではないか。
もう私はあの世界の住人になってしまったのではないか。



そう錯覚させられるくらいのめり込んでいる自分がいる。


みんなが口を揃えて「ブラブラロス」と言うように、あの世界は私を捉えて離してくれなかった。

それはブラッドブラザースの世界に足を踏み入れた日よりも、帰ってきた(はずの)今の方が強く感じる。




なぜだろう。



その疑問の鍵を握るのは、やはりミッキーのあのセリフだった。


母ちゃん…
どうして俺を渡さなかった?そしたら俺が…俺がこいつだったかもしれないのに
(2015.03.18更新 なにわぶ誌 桐山照史のページより)


この言葉がずっと心に引っかかって、10日以上経った今でも鮮明に思い出すことができる。

この言葉を言わせてしまった環境を嘆き、この言葉を言ったミッキーを想った。

そして、まるで自分がミッキーになったようなやりきれなさを感じ、まるでジョンストン母ちゃんになったような切なさを感じ、まるでエディになったような慈悲深い気持ちになった。






しかし今日、友人とお茶をした帰りのバスの中でなにわぶ誌を読んでいた私は、

でもね…




でもね…





俺とエディーを産んでくれてありがとうね
(同上より)


というミッキーからの言葉を受けて


「あぁ、もうこの世界に居ちゃいけないんだな」と感じた。

いや、居ちゃいけないっていうのは語弊だけれど、この物語の1つの区切りがついたのだと悟った。




知りたかった答えが、欲しかった言葉がこの一言に込められていて、無縁仏のようにさまよっていた心が無事成仏したかのような気になる。



少し大袈裟かもしれないが。



それでも、他でもないミッキー自身が、「もう自分の世界へお帰り」と優しく背中を押してくれているような気がして、寂しいけれどもホッとして柄にもなく泣きそうになった。



それと同時に、こんな素敵な舞台でエディとミッキーを演じきった神ちゃんと照史君を誇らしく思った。









神ちゃんが言うように、終わりがあるから始まりがあって、始まる為に終わりがあるならば、始まりを迎えるために終わらせなければならない。


それはすごく寂しいことだけれども、きっとまた素敵な始まりが来ると信じている。


だから、その始まりのために一旦物語のページを閉じよう。



そしてまた、そのページを開く時が来たら「おかえり」と迎え入れ、「また来ちゃった」とハニカミながら笑うんだ。







それまで

さよなら。ありがとう